2006.08.14

碓氷峠再び・・・

2年ぶりの夏旅行・・・
今回はしばらく行く機会のなかった僕の両親のお墓参りからスタート。
僕の両親の墓は、岐阜県山県市にある。岐阜市内から車で一時間くらい山の中へ入ったところである。
11時過ぎに岐阜に到着。駅前でレンタカーを借りて行ってきた。岐阜市内に戻った時はもう14時を回っていた。

14:30東進開始。今回の旅行のメインは2001年に一度行った碓氷峠再訪である。
大阪から碓氷峠(横川または軽井沢)へ18きっぷで行くルートは色々ある。

1・名古屋から中央本線で小淵沢、小淵沢から小海線で小諸、小諸からしなの鉄道で軽井沢。
2・日本海縦貫線で直江津、信越線で長野、長野からしなの鉄道で軽井沢。
3・東京まで一気通貫して、上野から高崎線、信越線で横川。など・・・。

前回は1ルートで行った。今回は3ルートで行くことにする。 ただし今回岐阜ですでに14時をまわってたので東海道線を明るい内に行けるとこまで行って、後は新幹線で東京に入ることにした。
結果的に静岡で18時を回ってしまい、新幹線に乗り換える。20時過ぎ東京・上野入り。
東京などで泊りたくなかったんだけど。

駅前のホテルに荷物を置いて、御徒町商店街の居酒屋へ・・・上野近辺は雑然としていて東京内では比較的なじみやすい場所である。 入った場所もそのまんま大衆酒場。タタミイワシともつ煮込みでお酒を一献・・・一番幸せな時間だね・・・歳やね・・・。
22時ころホテルへ戻り、シャワーを浴びて早めに就寝。

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上野駅
今回の旅行はここからスタート。

寝台特急あけぼの
ブルートレイン「あけぼの」が入線してました。
牽引機はJR東日本・青森車輌センター所属のEF81 137号機。
東北筋を青森まで走る寝台特急です。

翌15日7:25上野から高崎行に乗る。高崎で信越線に乗り換え9:46横川着。
横川は鉄ちゃんにとっては聖地(メッカ)のようなところである。
ここから軽井沢までの区間、碓氷峠という妙義山系超えの難所がある。東京から新潟方面へ鉄道を敷設するさい、 この峠を越えなければならなかった。麓の横川(群馬県)からサミットの軽井沢まで直線距離10kmあまりで標高差が 600mもある急峻な峠である。そこで幹線では世界的にも前例のないアプト式という登山鉄道用のラックレール式の鉄道が 敷設された。時代は明治後期。

最大斜度66.7パーミル。(1kmで66.7m高度が上がる)人や車にとってはどうってことのない勾配なのだが、 鉄道にとっては常識はずれの急勾配である。鉄のレールと鉄の車輪・・・摩擦力(鉄道用語では粘着力という)が 非常に小さい鉄道は坂道に弱い。(そのかわりより小さい力でより重いものを運べるのだが。)
そういうことで、碓氷峠は当時の鉄道技術の粋(早い話、なにがあっても安全に止める技術)を結集して敷設された。 日本で最初に電化された区間でもある。

昭和38年、輸送力増強のためアプト式から通常の粘着運転の新線に切り替えられた。
アプト時代も粘着時代もここを通過する列車は単独では通行できなかった。必ず、麓側に補助機関車を連結し通行していたのだ。 麓側の横川で補助機関車を連結するため全列車は数分間停車を余儀なくされる。この停車時間によって、「 峠の釜飯」という名物駅弁が生まれた。
横川駅舎
こじんまりとした横川駅舎。

アプト式レール
アプト式レール。
真ん中のラック・ギアに車輌側のギアを噛み合わせて坂道を上り下りします。

峠の釜飯
おぎのやの「峠の釜飯」です。
横川名物で定着していますが、今は北陸自動車道のサービスエリアや、
軽井沢駅などでも売っています。器は益子焼でかなり重いです。


この区間は1997年9月30日長野新幹線(北陸新幹線)の東京長野間開通によって廃線になったのだが、日本の鉄道史上非常に 重要な区間ということで、全区間が鉄道文化遺産に指定された。この中には、丸山変電所、碓氷第3橋梁など、国の重要文化財指定を 受けた遺構もある。

したがって廃線後も、旧アプト路線のトンネルや橋梁はそのまま保存され、線路跡は遊歩道となっている。 また、新線は下り側の線路はそのまま残され、片側は旧線の遊歩道につながるハイキングコース(コース全体には「アプトの道」と いう名称がつけられている。)となっている。そして、補助機関車(「峠のシェルパ」の愛称がある)がたむろしていた横川基地は 「碓氷峠鉄道文化むら」というテーマパークとなった。

100年あまりに渡る「横軽」の七転八倒のエピソードには枚挙に暇がないのでここでこれ以上薀蓄たれるのはやめときます。

今回ここを再訪することにしたのだ。鉄の聖地参りである。

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碓氷峠鉄道文化村
碓氷峠鉄道文化むら 真ん中の建物は、もと検修庫です。
車輌基地を整備して、このテーマパークが作られました。

ED42 アプト式EL
アプト式時代のシェルパ・ED42
麓とサミットではパンタグラフで架線から集電し、山の中では線路横の
第3軌条から集電するという独特の集電システムをとってました。
第3軌条は大阪の地下鉄でお馴染みの集電方法ですね。

EF63 24
粘着運転時代のシェルパ・EF63。
文化むらで動態保存されている24号機です。今、動いています。

この機関車を運転しているのは、プロの運転士ではありません。素人の人です。

文化むらではEF63体験運転を実施しています。
体験運転といっても、受講料3万円という本格的なもので、
仕業点検からスタート・停止までプロの手を借りずに行います。

108トンもの機関車を一人で操縦するのですから、さぞかし気持ちいいでしょうね。

運転資格取得者
運転資格習得者の名前が貼り出されてます。
これは本務機関士資格取得者。職業はサラリーマン、自営、学生など様々。
中には重連運転資格を取った猛者もいます。

重連とは、2両の機関車を一度に操作することで連結された機関車の
後位側は無人で、先頭の機関車で統括制御します。
EF63本来の運用方法でした。

運転回数により見習機関士、補助機関士、本務機関士と
ステップアップして行きます。
補助機関士資格取得者には女性も少なからずいました。



前(2001年)と同じく文化むら見学のあと、ハイキングコースに入り碓氷第3橋梁を目指す。 4.1km坂道を登らなければならない。
大阪と比べ涼しいといえ真夏である。さすがに丸山変電所前(横川から1.5km位)までで、汗だくでへばってしまった。

かつての路線は、このような感じで整備されています。
下り線はそのまま保存され、架線柱、架線、信号機もそのまま保存されています。
上り線は遊歩道になっています。

碓氷峠山中
この界隈はこんな山深いところです。

トロッコ列車
今は、下り線には観光トロッコ列車が走っています。
走るというよりノロノロ動いているという感じです。
写真ではわかりづらいのですが、ものすごい急勾配です。



実は、下り側の線路には土日祝日、トロッコ列車が運行されている。さすがに急勾配路線なので、列車のスピードは 人のウォーキングなみ・・・おそらく日本で一番遅い列車ではないかな?
それでも、それに乗れば楽だったのに甘かった・・・。
トロッコ列車の終点は丸山変電所から数100m位上った「峠の湯」まで。中仙道の宿場町坂本あたりにある温泉施設である。 とりあえずそこまで行ってみることにした。

入湯料は500円。なかには休憩所やレストランもありなかなか結構なところだった。ここの露天風呂でリフレッシュ・・・ 休憩室を兼ねたレストランで昼食・・・生ビール。完全になごんでしまって、第3橋梁まで行く気が失せてしまった。 結局2時間近くの~んびりして、件のトロッコ列車で横川に戻った。

丸山変電所
丸山変電所(重文)アプト時代に使われていた施設で、
新線開業時に役目を終え、荒れるにまかされていたのですが、見事に復原されました。
前回(2001年)訪れた時は工事の足場が組まれていました。
すぐれた煉瓦建築として国の重要文化財となっています。

トロッコ列車
トロッコ列車。文化むらから峠の湯まで
2kmを往復します。列車は超満員でした。

峠の湯
峠の湯の屋上から妙義山系を望む。
ここで、のんびりと命の洗濯をしてました。



14:50JRバスで軽井沢へ・・・。通常バスは碓氷バイパスを通って軽井沢へ行くのだが、この日はバイパスが車で大渋滞だと のことで、旧街道(国道18号線=中仙道)を通るとのこと。ラッキー!!。
なぜかというと、この街道、廃線の遺構が随所に見られる道だからである。碓氷第3橋梁の真下も通る。
はからずも、第3橋梁を拝めることになったからである。

定期路線バスでありながら、このバスの運転手、観光ガイドもやってくれて楽しい30分をすごせた。
碓氷第3橋梁
バスの中から撮影した碓氷第3橋梁。通称めがね橋
思ったより巨大で、美しい橋でした。これも重要文化財に指定されています。

噂には聞いていたが、この道、ものすごい急カーブ・急坂の連続でスリル満点であった。 カーブごとにC=XXという標識が立っていたが、これはカーブの個数表示。横川からC=1で始まり、軽井沢手前の最後の番号は C=184。つまり横川・軽井沢間に184箇所!!のカーブがあるということである。
改めて、こんな場所によく鉄道を敷設できたもんだと思う。

道の片側から下を見ると細い道が見え隠れする。遊歩道となっている旧アプト路線跡である。 単線の鉄道路線というのは予想以上に細い。周りの自然に吸い込まれてしまいそうなくらい頼りない。 そのまま放置しておけば短期間に自然に回帰してしまうだろう。

バスは渋滞に全く合うこともなく定刻の2分遅れほどで軽井沢についた。横川もそんなに暑くなかったが軽井沢はホント涼しかった。 うだるような暑さの大阪と比べたら天国である。気温は24、5度くらいか。
軽井沢遠望
軽井沢駅からの遠望。

旧軽井沢駅舎
旧軽井沢駅舎を復元した記念館。

10000型アプト式EL
記念館に展示されている、10000型アプト式電気機関車。
日本で最初につかわれた電気機関車です。
時代は明治。ドイツ・アルゲマイネ社製です。

草軽軽便鉄道
おなじく記念館に展示されていた草軽軽便鉄道の電気機関車。
草津~軽井沢間を走っていた軽便鉄道でした。



1時間ほどあてもなく軽井沢をうろうろして16:50長野新幹線の「あさま」で長野へ。 長野新幹線は正式名ではなく実際は北陸新幹線の一部であるが、肝心の北陸側はまだ工事中のため 暫定開業したこの区間(東京~長野)を長野新幹線と呼んでいる。

並行して走る「しなの鉄道」でも長野までいけるのだが、JRでないので18きっぷは使えない。
もと信越本線の一部だったのだが、新幹線開業により第3セクターとして再出発した鉄道である。

新幹線整備計画では、新幹線開業時、並行する在来線は廃線・もしくはJR以外の組織に移管することが決められている。 他では、東北新幹線の八戸延伸によってその区間の東北本線がいわて銀河鉄道、青い森鉄道となった例がある。

どのみち18きっぷは使えないのだから・・・ということと、時間節約と初乗りということで新幹線を使ってみた。
新幹線・あさま

新幹線・あさま
E2系新幹線電車、あさまです。



16:50発の「あさま」577号で長野へ。17:21長野着。所要時間30分。しなの鉄道で行けば1時間半はかかるから、 やっぱ新幹線は速いわ・・・。
時間も押してきたので長野で泊まろうかとも思ったが、17:28直江津行があったので思わず乗ってしまった。

実は帰りは日本海回りで帰ろうと当初思ってたからである。
18:57直江津着。駅前のホテルに投宿。まだ19時なのに町は閑散としており店も殆どしまっている。 お盆真っ最中だからか・・・。町へでても期待できそうになかったので (何の?・・・居酒屋です。女性ではありません念のため・・・)結局ホテルの和食レストランで飲む。 (ビール2杯サービスだった。)刺身とイカの沖漬が肴。
地酒の聞き酒セットがあったのでそれを注文。安くて美味くて大満足・・・。


翌8月16日8:15直江津出発。特に行く場所もないのでひたすら乗り鉄のつもりだった。
糸魚川で富山行に乗り換え、11:00富山着。ここでふと思い立ったことがあった。 鉄のトピックで恐縮・・・でもないか・・・。

今年の4月、富山駅から岩瀬浜まで走っていた赤字路線のJR富山港線が休止された。 かわりにポートラムというライトレールが開業した。ライトレールというのは新世代の路面電車線のこと。 (LRT=Light Rail Transit)
この線のユニークなのは、休止になった富山港線の線路を利用していること。駅前から1.1kmは道路に軌道を敷設して 路線を変更、奥田中学校前(新設駅)で旧富山港線に入り岩瀬浜まで走る。
この新世代路面電車(LRV=Light Rail Vehicle)は、交通弱者に親切、環境にやさしいなど数々の利点が評価され、 全国の路面電車線で導入が進んでいる。

モータリゼーションの波に呑まれ、大都市ではほぼ絶滅してしまった、路面電車が先の理由で再評価されてきている。

日本で最初にLRVを導入したのは、熊本市交通。続いて広島電鉄。広島電鉄はドイツ・シーメンス社製のコンビーノという LRVを大量導入して宮島線に投入。グリーンムーバーという愛称で走らせている。(LRTはカナダ・フランス・ドイツが先駆者)
ポートラム(富山ライトレール)は日本最初のLRT(ライトレール路線)として開業した。
また、線路幅はJR路線リサイクルということで狭軌、そして単線というのもユニーク。

前置きが長くなったが、これに乗ってみようと思いついて、富山駅北口へ。南口からは旧来の路面電車が走っている。
電車は15分間隔で運行されていた。料金は200円均一。
ただし、2007年3月まで平日の昼間、休日全日は100円で乗れる。 地域の人々にポートラムをしっかり利用して定着させようということである。 将来は南口の富山地方鉄道が運行する路線と結節するそうで、そうなれば一層便利になる。
途中、駅を4つ新設、13駅がある。全長7.4km。所要時間24分。単線なので途中駅で列車交換がある。 建設コストは1kmあたり8億円だったそうで、これは格安である。
車輌、駅ともデザインが素晴らしく、旧型電車がゴトゴト走っていた富山港線のイメージを一新している。 ただし、新設された軌道敷では全く揺れもなく静かで快適そのものなのだが、旧富山港線の区間に入ると揺れが大きくなり 快適とはいえない状態になった。線路規格の低いローカル線をそのまま転用したためで、 今後の改善が望まれるところではあるネ。

ポートラムTLR600
ポートラムのTLR0600型電車(富山駅北口にて)

ポートラムTLR600
同じくTLR0600。床面は完全フラットで車椅子でも
介添えなしで乗り降りできます。
景観に配慮したデザインが秀逸。
停留所もいままでの路面電車の停留所と一線を画すすぐれたデザインです。

今、日本でも各都市を走る路面電車線に次々このようなLRVが導入されていますが、
ポートラムはライトレール専用線として日本で初めて開通しました。

交通弱者にやさしい、環境にやさしい新世代路面電車・・・
その発展を願わずにいられません。

富山駅北口駅
富山駅北口駅。

岩瀬浜にて
旧富山港線をそのまま利用した専用軌道。
終点、岩瀬浜にて。



岩瀬浜まで行って、そのまま折り返し富山駅に戻る。後はひたすら北陸本線を走るだけ。13:21金沢着。 ここで小休止、昼食。だいぶ疲れてきたのでここで18きっぷを中断。特急に乗ることにする。 歳とともにだんだん忍耐力がなくなってきた。
ただし、特急は敦賀までとして、敦賀から18きっぷを復活させ大阪まで戻ることにした。最後の意地である。

結果的にこの目論見は裏目に出てしまった。14:28金沢発の雷鳥に乗ったのだが、この電車に乗り続ければ 17:00すぎに大阪に着く。でも、敦賀から普通・新快速を乗り継いでも18時過ぎには大阪に着けるとタカを くくってしまったのがいけなかった!

敦賀には15:40頃ついたのだが、次の普通電車(長浜行)は16:58までなかったのだ!! 時刻表調べておけよなぁ・・・乗り鉄失格である。特急はバンバン通るのに・・・。でも今更特急には乗れない。 今まで至極順調に駒を進めてきたのに敦賀で1時間も時間を潰すことになってしまった。

結果、大阪着は、19:40・・・最後に大失敗をやらかしてしまった・・・。
でも・・・
今回の旅の一番の目的は両親のお墓参り。そして碓氷峠再訪。この目的は達成され、 しかもバスが旧道を走ってくれたおかげでアプト時代の遺構も車内からとはいえ見物できた。 そんな訳で、最後の大チョンボはご愛敬ということで・・・いい旅になったというのが結論である。

家に戻り、シャワーを浴びた後いつもの大阪港にあるなじみの店へ・・・ここが一番くつろぎの場所だったりして・・・(^_-)