2006.01.01

一年ぶりの乗り鉄 2

1/3 本当は呉の「大和ミュージアム」へ行きたかったのだが、1/3は休館日・・・。2年前に行った、厳島神社へもう一度 行くことにした。昨日は出雲大社、今日は世界文化遺産の厳島神社。なんとも豪華な初詣?となった。
天気は快晴。12月あれ程寒かったのがウソのようなお出かけ日和になった。
広電(広島電鉄)の1日フリー切符600円也を購入してグリーンムーバーに乗って宮島口へ。グリーンムーバーは完全 バリアフリーの路面電車で、ドイツ・シーメンス社製。5車体30mの大きな路面電車である。西広島駅からは専用軌道をはしり 郊外電車としての性格も併せ持つ。
LRV グリーンムーバー
グリーンムーバー

18きっぷ3回目のハンコは宮島フェリーで押してもらう。
宮島へは、宮島口から船で渡るのだが、このフェリー、JR西日本が運用しており鉄道切符で乗れる。 「18きっぷ」ももちろんOKである。
フェリーは参拝客で満員。船はピストン運航で客をさばいていた。
前回、ここを訪れた時は本殿に行かなかったので今回は行ってみた。
ちょっと、時間をかけて散策もしてみた。
厳島神社については、日本三景、世界文化遺産としてあまりにも有名なのでここで蘊蓄を垂れるつもりはないが、前回も今回も 目についた五重塔へ行ってみた。これは厳島神社の五重塔(神社で五重塔とはちょっと変な感じがする・・・けど) 応永14年建立で重要文化財なのだそうだ。真っ青な空に朱の塔が美しく映える。
となりに古びた巨大なお堂があった。千畳閣といい、豊臣秀吉が戦没将士を弔うために建立したお堂だそうで、建立中に秀吉が 没したため未完成となっている。天井が貼られておらず、建物の屋根裏の構造がよくわかって興味深い。


厳島神社大鳥居
ごぞんじ海に建つ大鳥居。
この鳥居、海底においてあるだけなのだそうだ。

厳島神社本殿
厳島神社本殿入り口。朱と青空の対比が美しい。

五重塔
千畳閣と五重塔



約2時間程宮島を散策した後、広電に乗り西広島駅で降りる。フリー切符を買ったので元をとるため(セコい!!) 宇品港(広島港)へ行ってみる。
広島港は近代的なフェリーターミナルだった。ここから、近くは江田島、能美島、四国の松山、遠くは韓国の釜山までの フェリーがでている。港内観光クルーズもあるようだった。広電はここに大きなターミナルを設けているが、 まるでヨーロッパのどこかの駅のようでなかなかいい雰囲気だった。

広電・広島港駅
広島港駅。おしゃれな駅です。

広電・西広島駅
立派な西広島駅。路面電車の停留所とは思えない。



2、30分ほどいて広島駅に戻る。路面電車での移動は結構時間がかかり、広島駅に着いた時はもう4時を回っていた。 まだ、昼食も摂ってなかった。

遅い昼食を摂る前に一カ所行ってみたいところがあったので、そこへ行ってみる。JR貨物広島機関区である。 EL(電気機関車)ファン以外には理解できないだろうが、ここにEF67というここでしか見られない機関車がいる。

広島駅の東に瀬野、八本松という駅があるのだが、この間に通称瀬野八越えという山陽本線唯一の峠越えの難所がある。 瀬野から八本松まで10km程だらだらと一方的な登り坂となっていて、重量の嵩む貨物列車はここを通る時単独では登ることが できず、後ろに補機を連結して後押しをしてもらう。その後押し専用機関車が、このEF67なのだ。 広島貨物ターミナルで上り貨物列車の最後尾に連結され、西条(賀茂鶴で有名だね・・・(^_-))で切り離す。 役目を終えたEF67は単機で広島機関区へ戻る。こんな機関車なので実物を近くでじかに見る機会は少ない。 (この辺に住んでる人は別だけど・・・)
それを見に行った。物好きだね・・・我ながら・・・。
EF67電気機関車
瀬野八のシェルパ、EF67電気機関車

駅ビルで広島焼の遅い昼食を摂り、さあ、これからどうするか・・・。
どこかで、もう一泊したい・・・。と、考え、ふと思い当たった。
呉の大和ミュージアムは行けなかったど、公開中の映画「男たちの大和/YAMATO」の実物大ロケセットを 公開しているところがあった。尾道である。
と、いうことで尾道に行くことにした。


1/4、9:30にホテルを出て、大和のロケ現場へ行く。ロケセットは、尾道側の向かいにある向島・日立造船内のドックに 作られていて、渡船で行く。
造船所の敷地内だから、勝手に歩き回ることはできない。構内に入るとシャトルバスが準備されていて、直接セットのあるドックへ 運ばれる。

映画は大ヒットしていて結構なこととは思うが、なぜ、今「大和」なの?という疑問は残る。

「大和」は帝国海軍が総力を結集して建造した世界最大の戦艦であるが、はっきり言って、ウエポンシステムとしては既に 時代遅れの代物だった。
帝国海軍は、当時最高の技術、国力不相応の費用を投じて「無用の長物」を作ったのだ。 今も昔も税金の無駄遣いは変わらない・・・。
「大和」は日露戦争下の日本海海戦以来帝国海軍の艦隊決戦思想の集大成として誕生したのだが、太平洋戦争は既に制空権 (つまり航空機)が雌雄を決する戦争に変貌していた。しかも、航空機が船よりも強いことを証明したのは、 他ならぬ日本海軍だった。真珠湾攻撃もそうだし、マレー沖会戦などでは日本の航空機の雷・爆撃だけでイギリスの 「不沈」戦艦2隻が撃沈されている。
それでも、頑迷な海軍首脳は「艦隊決戦」思想に凝り固まっていた。これも、今の日本政府・官僚の先の見通しの無さ、 戦略のなさによく似ている。

いずれにせよ、大和は大した活躍もせず、悲劇的な最後を遂げることになり、これが映画の格好のテーマにもなっているんだろうが、 へんにお涙頂戴や国粋主義的な考えに陥ることなく、当時の日本軍は馬鹿なことばかりやって日本を破滅に導いたということに 思い至ってほしいものだネ。

蘊蓄はこのくらいにして、セットを目の当たりすると、やっぱりデカいわ。
豪壮なお城のような艦橋や第1主砲塔に砲身はなかったが、映画ではCG合成で実現しているそうだ。 セットは全長263mあった大和の前から190mまでを再現している。公開は3/31まで。
「大和」セット全景
渡船からみた大和の全景。ちょっとわかりにくいかな?

「大和」セットと尾道
大和のセットと尾道の町
「大和」セット部分
連装高角砲と測距儀。ベニヤ製だけど、
よくできてます。

「大和」セット部分

「大和」セット部分
艦首部の菊の紋章。直径1.5mもある。


ところで、尾道といえば本四架橋、尾道・今治ルート(しまなみ街道)の起点、
という位置づけ以外に林芙美子、志賀直哉など文人・文学ゆかりの町。また、山陽本線の北側に位置する山にたくさんの古寺があり それが観光の目玉だった。
古寺巡りのスタンプラリー的な企画もなされていたので行ってみる。
この界隈は人ひとりがやっとすれ違えるような路地が迷路のように入り組んでおり、しかも急峻な坂道。 車が通れそうな道はどこにもない。興味深い場所ではあるが、観光客は殆どいない。観光の目玉は完全に向島の「大和」に奪われてしまったみたいだった。


尾道文学の館案内板
散策路に点在する文豪の住んでいた館の案内板

坂道の展望台
展望台より市街を望む

志賀直哉の家
志賀直哉が大正元年から2年まで住んでいた家



お昼頃駅に戻り、11:54岡山行の電車で帰路につき、まる1年ぶりの乗り鉄を終える。
久しぶりの鉄道旅行、いい気分転換になった。めったにない経験もした。
明日から、日常の喧噪が始まる・・・。