2004.05.05

3day チケット 3回目

5月2日・3日と姫路・滋賀・京都と歩き回って足に身が入って痛いこと・・・。いい具合に5/4は一日雨。 いい休養になったね。4日は乗り歩きの写真加工とWEB作成に一日PCの前に座っていた。
今年のゴールデンウィークは僕にとっては日取りと天候の具合がいい。

明けて5日、ゴールデンウィーク最後の日。天気は曇り。予報では午後から回復となっていた。
後一回残った3dayチケットとデジカメを携え8時10分頃家を出る。
向かう駅は南海・難波駅。これから高野山に行こうと思う。
南海・高野線には北野田までしか乗ったことがない。いい機会だったので一度終点まで乗りとおしてみようと考えたのだ。

8:47難波発の急行に乗る。

橋本までは取り立ててどうってことのない高野線であるが、橋本を過ぎると単線になり、にわかに田舎の風情が漂ってくる。 高野下駅を過ぎてからは、ちょっとすごいことになってきた。都心と郊外を結ぶ電車である筈の南海電車が、 唐突に登山電車に変身である。ものすごい急勾配(最大50‰らしい)と急カーブの連続である。
並行している川や道路がみるみる眼下に小さく離れていく。窓から見える景色は山また山・・・・ どんな秘境に迷い込んだか・・・という感じである。

電車はどんどん高みに登って行く。車輪がずっと悲鳴をあげている。急カーブで、レールと車輪のフランジが触れ合う、 「キーン・キーン」という音がずっと鳴りつづけている。スピードも全く上がらず、徐行運転そのものである。 途中駅もカーブの中に無理やり作ったかんじでホームは大きく湾曲している。

南海電車の車両は全長20m級の大型車両が主なのだが、高野山まで走る電車は全長が短い。高野線の特急車両「こうや」を みるたび、ずいぶん寸詰まりな車両だなと思っていたのだが、これで納得した。こんな線形では20m級の車両などとても 走れない。
そのくらい、激しい急カーブの連続である。

もうこれ以上、登れません・・・という感じで電車は10:18、終点の極楽橋に滑り込む。電車の行き先は高野山と なっているが電車が到達できるのは麓の極楽橋までで、ここから先はケーブルカーに乗り換える。
電車とケーブルは一体で運用されていて、電車の駅とケーブルの駅に改札はない。 このケーブルは南海高野線の一部なのである。

こんな景色が続きます。

極楽橋駅

高野山ケーブル
最大勾配は536‰


高野山駅



約5分で標高870mの高野山駅に到着。天候は回復途上でガスっていて視界が悪い。空気はひんやりしていて、 ちょっと寒い。フリースを持ってきていて正解だった。
ここから、高野山岳信仰のメッカまではバスで行くことになる。今の時期、臨時バスが頻発しており、 待ち時間なくバスに乗れた。

最初は終点の奥の院まで行くつもりだったが、金剛峯寺のある千手院橋で降りる。寡聞にしてというか、 無知というか高野山のてっぺんは、お寺ばっかりで普通の人は住んでないとばっかり思っていたのだが街があった。

高野山は1200年前弘法大師によって開かれた真言密教の道場であるが、現在は和歌山県伊都郡高野町という 一個の町である。
町並みは寺院と一般の民家や店(町屋というそうな)が交互に現れる特異な形態を持っている。

これ以上の説明は高野町のWEBサイトを 見てもらうことにして、とにかく僕が描いていた高野山のイメージは違っていたということです。

高野町・千手院前の町並み


八重桜です。まだ、咲いてます。


金剛峯寺本殿



金剛峯寺にお参りしたあと引き返す。天気は急速に回復してきて、日がさして暖かくなってきた。
11:21(だったと思う・・・。今回の旅は大都会の私鉄ばかりに乗っているから列車時刻など全く気に していなかった。だから正確な時刻は覚えていません・・・。)ケーブルに乗って麓の極楽橋へ。 そこから難波行き快速急行で戻る。

このままだと、あっけなく難波についてしまうので一計を案じ、河内長野で下車、近鉄長野線に乗り換える。
これで、在阪神の大手、準大手民鉄は一通り3日間で乗ったことになる。

これから橿原神宮まで行き、その後近鉄橿原線で大和西大寺まで、西大寺から奈良線で大阪に戻ろうと思う。
古市で南大阪線・橿原神宮前行きに乗り換える。橿原神宮前で一旦改札を出て橿原神宮に参拝しに行く。 仏教徒になったり神道になったり忙しい・・・。

拝殿に参った後、神宮の森の中を散策していると、「空母瑞鶴慰霊碑」というのが目についたので行ってみた。 「瑞鶴」とは旧帝国海軍の航空母艦の名前である。昭和19年10月25日、フィリピン沖で米軍の雷爆撃で轟沈し、 運命をともにした乗員の慰霊碑である。となりに台13期海軍甲種飛行予科練生の慰霊碑もあった。 零戦の大きな模型が飾られている。
彼らは、特攻隊員として南の海に果てていった。その御霊を祭ったものらしい。


橿原神宮の拝殿玉砂利が美しい


鬱蒼とした参道


空母・瑞鶴之碑


予科練生が使った航空機のイラスト


こういうものを見ると、やはり日本人として厳粛な気持ちになる。イデオロギーなど関係ない。
彼らは純粋に国のために死んでいったのである。そういう人達については素直に慰霊の気持ちを持っていたいと思う。
いまだに、中国、その他の国から過去の大戦の罪をとやかくいわれつづけているが、あくまでも罪があるとしたら、 当時の軍部であり、いまだにこれらに対し曖昧な態度しかしめさない日本政府にあるのであって、国に命を捧げた彼らを 慰霊するのは当たり前だとおもうが、いかがか・・・?

と、まあ、少々脱線してしまったが、とにかくそういう慰霊碑があったのは知らなかった。
この後、橿原線を西大寺へ・・・。西大寺でちょうど京都地下鉄乗り入れの電車が向かいに停車したので、 それに乗って京都にまた行ってみようかとも思ったがやめた・・・。
17:00頃日本橋に着き、恒例の日本橋電気街詣でをして、なんばWalkの居酒屋で一杯やって、 ゴールデンウィーク私鉄乗り倒しを終えた。

こうして、日頃何気なく乗り慣れている私鉄でも、こうして改めて乗って見ると色々面白い発見があるものである。 そういう意味では有意義な休日を送ったな・・・と自負している。